ImPermanence Production
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今、美しきもの

ダンスの探求

(2016年6月13日のメモをもとに)
「誰でも(ダンスを踊れる)Ingredientは持っている、それをどう料理するか」

これは舞踏家のYumi UmiumareがFOLA(Festival of Live Art 2016)の帰りに言った言葉。前回書いた「信念」というブログにも関連するが、自分のIngredientをどこまで上手にくみ取り、肯定し、受け入れるか。性格に個性があるように、体にもその人それぞれが持つ個性が、つまり癖がある。生まれ育った環境、風土、しつけ、教育、社会通念、性別、社会での地位をもとに。そして、それらのIngredientをどのようにPerformativeなCreationに生かしていくか。

一方で、もう一人のMentorであるTony Yapはすべての人間が共通して持っている無意識の体の反応に焦点を向けている。これはTranceをPHDを勉強している彼の最大のテーマである。上野圭一氏の著書「ナチュラルハイ」によると、Trance(彼の言葉は”ナチュラルハイ”)は、毎日日常のなかで起こっているほど、その範囲はひろい。薬物によるハイ、マラソンや水泳をしていて極限を超えたときに起きるハイ、瞑想しているときにおこるハイ、緊急時に起こるハイなど。

すべての設定を細かく決め、疑似世界を作りあげているシアター。そこには人間の「理解を超越した世界」を作り出したいという本来持って生まれた欲求があるのだろう。

それでは、如何にしてその潜在的にもった「神秘的な体の能力」をPerformative(パフォーマンスように)仕上げていくか。TonyはPerformanceもTheaterも「虚構を真実にそっくり作り上げる作業」という。コントロールを失ったダンスで現れるAuthenticity(人間的真正)美的観点は、コントロールされたそれに比べて低い(それはいいわるいとか問題ではなく、異なるものだ)。

世阿弥は「風姿花伝」の中で、その道の師ついて学ぶことを強調している。特に若い時に自分の思うように自由に作風を作り上げていくことを強く戒めている。35歳で始めたダンスは、思わぬ方向で僕を動かしていく。同時に、「師」という人を持たない、持たなくてもよいオーストラリアの地において、世阿弥が言ったその言葉をつくづく感じている今日この頃である。

「誰でも(ダンスを踊れる)Ingredientは持っている、それをどう料理するか」

1年後の僕に、このブログを読んだ時にどんな旅をしているだろうか。そんなことを思いつつ今日はとめどなくダンスについて書いてみた。

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