ImPermanence Production
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今、美しきもの

Ulla Brandenburgの世界

今日は兼ねてから予定していたUlla BrandenburgのエキシビジョンをACCA (Australian Centre for Contemporary Art) へ見に行った。 彼女のProfileに下記の一節がある(このサイトから抜粋)

Concerned with ‘the borders of different consciousness: past and present, alive and dead, real and illusionary’, von Brandenburg creates work positioned uncertainly at the point at which reality ends and the illusion of life, emotions and events begins.

猛烈に面白いのはこの「現実と幻想、感情、イベントが始まる不確かなポジショニング」というところ。これはある意味で「精神世界(3次元を超えた世界)と肉体世界(3次元)をとても上手に、或いは西洋的に描写していると思うのである。僕なりに、そして日本的に、或いは禅的にいうのであれば、ある真夏にうっそうと茂る緑に囲まれて目をつぶる、そこに感じるみなぎる新緑の躍動感、セミの声と共に移り行くその瞬間に感じる風、ここは現実であるはずなのに、精神は完全に「我」を超越したところにいる。自分という存在がその緑となる瞬間。

彼女の作品の一つに「Around」というVideoインスタレーションがる。5-6人のダンサーが中心にお互いの肩が触れるぐらいに集まり、背を向けて向こうを向いている。場所は、どこか工業地帯付近の道路のよう。車は走っていな。白黒Super 16mmのカメラがその集団の周りをゆっくりを弧を描いて回っていく。こちら(カメラ目線)としては、常にダンサーの正面を見ようとするわけだ。でも、カメラが旋回すると同時に、ダンサーたちもゆっくりと旋回していく。決して、顔を見ることはない。2:45の作品は再び最初の場面に戻る。見ていると、自分は「見よう」としているだろうが、果たしてそれが本当なのかと思ってくる。こちらの動きに合わせて彼らがゆっくりと旋回していくので、こちらの動きが先にはじまりのだ。踊りをイニシエイトしているのはダンサーではなくこちらではないのか。

Ulla曰く、白黒フィルムというのは、時間を超越する、つまり時間枠コンテキストを取り払うこという心理学的な効果があるそうだ。ダンサーの服の色や、建物の色、看板の色からはいわゆる社会的なコンテキストに深く影響されることがある。UllaのほとんどのFilm Pieceは、したがって白黒である。舞踏の白塗りも大野一雄さんがはじめたらしいが、自分が戦地から帰ってきて自分はもう死んだものだという「現世界では存在しない」その精神世界を表現したかったのだろう。その話がほんとかどうかは別にして、白塗りのEffectはコンテキストを取り除く舞踏にはもってこいのMake UPになったのではないだろうか。(そういえば、細江英公の写真も確かに白黒が多い)。

もう一つ印象に残った作品として「Dance Macabre(恐怖のダンス)」という作品がある。これは、Sardegna島で今も踊り継がれているMamuthoneという踊りである。男だけが舞うことを許され、面やCowbell(牛につけるベル)を付けているシーンを見られてはならない。解説ではこの踊りは他国からの侵略が茶飯事であったころ、この踊りによって他者の侵入を防ぐ儀式として始まったとか、あるいは、農耕が主な産業であったため、五穀豊穣の儀式として始まったとか、その発生の起源はさまざまな説がある。Christianityがヨーロッパを覆う前の2000年前に始まったとみられ、いわゆるCatholic的な宗教要素は含まれていない。むしろ、どこか南方アジア的な(マスクをつけるところも)Sharmanistic的儀式だ。これを見たときに、何事かわからないものへ対する恐怖、人を寄せ付けない感覚からくるある種の疎外感と同時に「怖いもの見たさ」的な、だからこそ惹かれる何かを感じた。儀式は儀式としてその地で受け継がれ、そして、その起源・発祥がはっきりしていないものも少なくはない。ただ、そのあいまいさを含めたものこそが「儀式」として効力を持つことも多い。この儀式的要素を芸術の分野で使うことは、最近の現代美術で多く試みられることであるが、作品にした段階で、その「効力」が薄っぺらい表面的なアートになり下がることも少なくないと思う。一方で、この「Dance Macabre」の作品ではその味わいがとても上手に醸されている。従来は列をなして一方向に踊るMamuthonesのだが、作品では面をかぶった男たちの中心にカメラがたち、そこを中心に男たちが踊りまわるのである。白黒、手持ちのカメラ、男が4人くらいがキャプチャーされる距離感で一節が執り行われる。何とも言えない、独特な緊張感は一定のこの「距離」が絶妙だからなのか。

この儀式性と芸術の関係のメカニズムは、岡本太郎がとても上手に表現している。

「…相手に何からの形で認められるという要素がなければならない(儀式性)。それがなかったら、働きかける力をもたない。だが、全面的に受け入れられ、好かれてしまったら、また呪力を失ってしまう。ともに芸術として無存在だ。」

今まで、西洋人が考える「儀式」、「スピリット」とはどうもChristianityと切っても切れない、そしてその根底にあるギリシャ哲学、フロイト的心理学の影響をうけたものという見方が強かった。一方、アジア芸術の根底にあるものはAminism、Sharmanismというものに代表される、自然と人間との関係性における解釈の影響が大きいと思う。Brandenburgの作品をみて、驚きとともに安心感を感じた。

https://www.youtube.com/watch?v=hfoS_BCdTjE