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今、美しきもの

信念

Agugn Gunawanと話しているといろいろとなところで人生へのヒントが見えてくる。インドネシアは国民の90%以上がイスラム教徒である。しかしながら、Agungを始め、多くの人はジャワ人としての慣習、歴史、そして宗教としてのIslamが生活習慣の中に根付いている。例えば、このPelemという小さな村でも、多くはKoranをアラビア語で唱えることができるが意味はわからないという。だから読み手がKoranをChantingする前に、インドネシア語と現地語のJawa Languageでアラーへの感謝の気持ちを表す。 先日、Agungの屋外ダンススタジオの落成記念として二つの儀式(Rituals)が催され、それに招待された。朝に行われたのはJawaスタイルで村の長老らしき人がすべての事象に感謝する。その土地、水、食べ物、家畜、米、緑、木々。感謝と同時にSpiritに土地使用の許可を求める。コーランは読まないが、コーランの引用をつかって、その儀式に沿った言葉も出てくる。服装は至ってCasualだ。帽子もHijabもなし。

夜の儀式はMuslimスタイル。SarongやHijabをまとって関係者・近所の人が集まる。集まってしばらくして、Koranの音読が始まる。約30分間、神聖なChantingは、意味の全く分からない僕にとってはMeditationそのものだ。読み手のIwanは高校生の時にコーラン斉唱コンテストで優勝したほどの美声の持ち主。このPelemの森の中に立つ小さな新しい家の脇で静かにわずかの光の中でKoranの斉唱が行われる。男・女・子どももそのMysticalな効果を知っているように、無心に厳かに。

昨日の夜(木曜日の夜)は、地域でのKoranの音読会。Agungは出席せずに家にいた。なぜ出席しないのかという僕の質問に彼は彼のMuslim観をこう話してくれた。

僕はまだMuslimという「宗教」が完全に腑に落ちていない。でも、Allahは今まで自分を何度も助けてくれたから彼の存在を疑うということではない。僕は一日5回決まった時間に祈るとか、ラマダンで絶食するとか、土地を売ってMeccaに行くとかそういうルールがまだしっくりこない。Koranでは「困った人を助ける」というのがある。それがこどもでも、女性でも、老人でも。預言者Mohammadは11人の女性と結婚したというけれど、それは未亡人の女性を助けるためにしたと僕は信じている。現に、最初の妻も未亡人、彼が25歳の時にすでに40歳。もし、性欲や権力で何人もの女性と結婚したというならば、若い子を選んでいただろうと思う。

僕は自分のしているアート・教育・ダンスを通して多くの人たちと話をし、助け、助けられ自分なりに貢献しているという自負がある。それでも、もしIslamのルールに従わないと僕はBetter Personにはなれないのか。僕の妻も、義理の両親も何度も懇願してくる、頼むから地域のKoran朗読会に来てくれと。そう言われたら、僕はこう聞き返す「僕は何かあなたたちより下なのか。何も良いことをしていないのか。僕はたくさんの生徒にダンスを通して芸術が人生に何をもたらすのかをほぼ毎日教えている。芸術と宗教のつながりも時にはなす。僕の生徒は全員、僕が規則的にお祈りをしないのを知っているし、なぜしないかも話している。芸術活動によって生まれる雇用で近所の農家や技術者のために仕事を創造している。妻にも妻の両親にも優しくしている。それから、コーランに一つとても情緒的な一説がある。それは僕はとても好きで毎日欠かさず読んでいる。僕は両親のため、土地と神のため、そして最後に観客のためにダンスを踊っている。それでもあなたたちみたいに時間があればTVの前に座っている人と比べて僕は十分ではないのか。僕は、そういう生活をしている人たちを非難しないし、そういうルールに沿うことで神とつながる人もいるとわかってる。だからといって、僕はそれに従えない。なぜなら僕には心の底でそれらのルール・しきたりがまだ理解できないからだ。それをしないでも僕は神とつながったという意識を何度も経験した。僕は僕なりの神とのつながり方を知っている。正直言って、逆にそういうルールをきっちり守っている人でも他人には全く無関心な人も多いのを知っている。テレビを見てごらん。多くの政治家はMuslimでもインドネシアの政治は汚職だらけだよ。僕は自分なりの本当の意味でAllahとつながって、よりBetterな人間になりたい。それだけだ。

以前(確か8年位前)、インドネシアでダンスがPornographyと共にHaram(HaramはHalalと対の言葉で”禁止されるもの’という意味がある。)されそうになった時期があった。DanceがHalam?? 僕は街(ジョクジャカルタ)に行って、いろんな人に聞いた。DanceはHalamかと。ほとんどがわからないといった、Islam グループのリーダーでさえも。友人の一人にKoran朗読会を取りまとめる人がいて、僕も参加させてくれとお願いした。20時間行われるその朗読会のあとに僕がDanceできるようにあらかじめ友人に頼んでおいた。朗読の後、何百人もの観衆の中で僕は踊った。会場の中心にある噴水に入って、着ていたすべてのものを下着以外脱ぎ捨てた。観衆の中にはリーダーもいたし、女性もいた。その踊りは自分でいうのものなんだが素敵な、神秘的な、すべてを超越するものだった。特に20時間のコーランの後だったからか、自我の意識はなかったよ。今となっては、すごいリスキーなことをしたと思うが、踊りの後に非難されることはなかった。Islamのリーダーに「DanceはHaramか」とまた聞いた。すると、彼はあなたの踊りは「祈り」であるといってくれた。新聞にも大きく掲載された。見出しは「天使の踊り」。僕はその時独身だったが、その後今の妻に会った。僕の踊りが神に届いたのだと実感した。

神はこうやって僕を助けてくれる。新聞に出たことによって巡り合う人も多かった。僕はまだ「神」をどこかで探しているのだと思う。もちろん、どういう風にすれば神とつながることができるか、それは経験している。ただ、妻にいろんなことを言われると、何が神とのつながりなのかわからなくなる。一方で、つながり方がわかっているからこそ、自分には神がそこにいるという自覚もある。だから、信じていることを信じるということは本当に大事なことなんだ、例え、なにか犠牲にすることになっても。

彼のこの神との関わりは多くのことを語っている。TSエリオットやJosef Cambellが語っている一説を思い出す。「本物ではない生き方がもたらす社会的なよどみ。私たちのあいだに定着し、精神生活などなにも呼び起こさず、潜在能力や、肉体的な勇気さえ生かそうとせず、結局はずるずると私たちを、もちろんあの非人間的な戦争へと連れ込んでしまうような沈滞した生き方」。

彼の信念には常に疑問がついて回る。形骸化した、或いは〝定着した考え方‶に対し彼の本来もった精神性や直感でその疑問をじっくりと取り組む。彼の疑問への解決法は精神と頭脳、そして肉体(行動)をもって行われる。とてもPersonalであり、彼はその自分の精神的・肉体的体験を通して初めてその疑問への糸口へつながるといっている。

どの宗教でも個人の直観を推奨するものは少ないといえる。インドネシアはFreedom of Religionを憲法で保障しているが、実はこれも6つの宗教に限られる。その中に、Jawa土着のAnimismは含まれていない。制度上の宗教政策なので、ある専門家は、各地に残るAnimismを信仰する少数民族も法律に習ってMuslimと申請することで、インドネシアのMuslim人口は9割を占めるのではないかと推測している。

その中で、Agungの人生における哲学は「自分が信じえたる信念を持つ」ということだ。彼のJawa人としての信念、Islamとしての信念という二つの根幹を支える不動の核は、かくもよく練りこまれていて、ある意味で柔軟であり何よりも堅い。この精神性が肉体と結びつき舞が生み出されるとき、それは見る手にとっても踊りの枠を超えたものに見えるのは不思議ではないと思う。

果たして、自分の信念とは。信念や確信というものを考えるとき、共通点があるとすれば、それは自然宇宙との法則に沿っていなければならないということだ。だから、その信念とはもしかしたらとても単純なものなのかもしれないと思う。そこには自分の直観、動物的な直観も必要だ、なぜなら、僕も自然の一部であって、それを6感で感じることなしに自然宇宙の法則に沿った信念はできるわけがないからだ。