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今、美しきもの

朝、Agung GunawanにSexualityと神についての質問をした。二つがどう彼の中では関係しているのか。性欲とは人間の本来持った「エネルギー・Force」なのか、それとも最大の煩悩なのか。僕は最近SCoutに多くの時間を恥ずかしながら費やしている。ただ、疑問に思うのは、これは本来持った「エネルギー・Force」なのか、それとも何者かを自分のものにしたいという「Ego」なのか。その両方なのか。あるいは、全く別のものなのか。 SexualityはBuddhaやChristにとっては「欲」であり、「恐怖」と共に乗り越えるものの一つとして考えられている。つまり、人間の肉体に起こるあらゆる感覚からの離脱を表しているのかもしれない。Sexuality(「誘惑」という言葉がよく使われる)はJosef Cambellの本「The Power of Myth」にも神話のテーマとして幾度となく登場する話題である。

AgungにとってSexuality、或いは性的行為・動機とはいかなる場合でも「心・精神」からくるものであるというのが前提である。つまり、ある意味で「エネルギーでありForce」でなくてはならない。理性をつかさどる「頭」、性欲・性行為をつかさどる「性器」。そして、その二つの間にある「心・精神」。頭からでも、性器からでもなく精神から生まれる生・性のエネルギー。そこから生まれる精神的・肉体的な快楽。この「心・精神」から生まれ出てくる生への歓喜が性行為となる。その「歓喜」とは人間を作った神への畏怖であり、感謝の心である。彼の過去の性関係の多くは相手側が彼の「目」に惹かれたといっていたと彼はいう。彼の眼には何があるのか、何を映し出しているのか。彼の性経験は、「心」から始まり、「目」を通して広められていく。つまり「生経験」である。

人間以外の動物も快楽があるからSexをする。そして、人間のように子供を作ろうとか避妊しようとかという理性は多くの動物の場合、持ち合わせてない。だからなおさら神秘的で汚らわしさがない。人が動物の性行為を見て気持ち悪いと思うのは「理性」がそうさせるのである。

彼はまた、ダンスをするうえで「誰のために踊るのか」という質問に対して、「両親」だと答える。二つのエネルギーの結合で自分を生んでくれた両親。それは彼のSexualityに直結する。その次に、その両親と祖先を永遠とつないでくれた「神」のために踊る。そして、彼を育ててくれた土地、水、食べ物などの自然に対して。そして、最後に「観客」。彼も笑いながら言う。「時に観客のことを一番に考えて踊ることがあるが、それは順序が逆であるし、そういうときの踊りは納得いくものにはならない」と。また、彼はパフォーマンスの前にSexをしたことが何度かあるという。Cumはエナジーの放出で、新たなエナジーが体内で生まれ生気が上昇するという。これは射精することでエナジーを失うというという考え方とは対となるものだ。しかし、彼のそのSexに対する考え方からすると、セックスがどういう精神状況でおかれるかというところにポイントがあるように思える。Sexは本来エナジーの交換をするものとされている。男のエナジーと女のエナジー。男性も女性性を、女性も女性性を持っている。Sexをするうえで、普段眠っている未使用の性が循環し始めるのではないと思ったりもする。

そして、彼は踊りに関して「本当の踊りは男も女もない性を超えたものである」という。つまり、そこにもやはり「神」的な存在が見え隠れする。ちなみに、彼のいう神は「Something extraordinary」であり、例えばAlahだとか、Jesus、Buddhaという固有の神ではない。