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今、美しきもの

嫌われる勇気

昨日に引き続きSatyananda Ashram Yogaでの体験と回想。 2016年1月3日

今日は朝5:30起床、6:00からAsana & Pranayama yogaを1時間、そしてそのあとChantingを30分行った。SwatiとKrishnamartiの哲学を絡めて昨日の事件について友人に話をした。彼女は、Swatiの誰も崇拝するに値する人だとか、彼らのようになろうとは思ってない、ただ、その道を一生懸命歩んできたひとが持つ知識や情熱、そういうものを習って自分の中で意味づけていく。その後のYoga Karmaでは薪を積み上げる仕事が与えられた。自分はこんなところで何をやっているんだろう、他に僕ができる仕事があるはずだ、なぜトラックを使って効率的にやらないんだ等、いろいろな不満や疑問がわいてくる。これが(今になってみれば)Yoga Karmaのすごいところなのだ。

Alfred Adlerの研究者である岸見一郎氏の著書「嫌われる勇気」を思い出す。AdlerはIndividual Psychologyを確立したことで有名だ。アドラーの見解には、私たちの常識と思っている現代のすべての仕組み・信条・枠組みへ疑問を投げかけている、あるいは反論を呈している。私たちにとって客観的な世界などなく、全て色眼鏡を通してしかみることはできないという「認知論」(僕にとってこの認知論は政治を話題にするときに常に頭に入れていることだ)。トラウマや過去の体験に支配されているという原因論は誤りで、人間は、目的を変え過去を意味づけ直すことで人生を変えることができるという「目的論」。変えることが困難だとされる「性格」をもっと柔軟なものと捉え、いつでも選び直せると考える「ライフスタイル論」。アドラーの思想は、いつでも「この瞬間」から人生を変えることができるというポジティブな人間観に貫かれているのだ。また、彼の思想の中には(あるいは岸見氏の思想)助け合いの社会にいる人こそが本質的には私たちの人生を幸せにするということを説いている。これは、先日TEDでみたHappinessに関する研究結果が示しているものである。富でも名誉でもないただそこに毎日ある人とのつながり。人とのつながりは自然とのつながりも含まれているのではないか。いずれにせよ、自分の周りに自然とあるものへ注意深く目を向けること、助け助けられること。

今、IndonesiaのPacitanというところにあるJavanese danceを教えるダンススクールに一か月滞在している。豊富な自然、咲き乱れる花、そこら中にあふれるココナッツ、庭をあるく鶏、食卓に並ぶ地産の野菜、魚、肉。子どもたちは女の子であれば小さいころから母親の手伝い。男の子であれば父親の手伝い。集団下校、集団行動、一人では生きていけない社会構造。彼らの目にはオーストラリアでみる子どもたちの目にはない何かがある。シャイで、自発的ではなく、競争心も温和、先進国の子どもが知っているだろうセレブリティ―やファッションやテクノロジーはほとんど知らない。でも、思春期を迎えた彼ら・彼女らは、すでに今日を生きる喜び方をしっているような気がする。オーストラリアで友人と「人生」について話していると、彼の子どもが「Googleすれば」といったのを思い出す。その時は笑って済ませたが、今になってみるとそこにははっきりと精神の宿るからだと心が剥離しているサインだったのかもしれない。

AdlerのIndividual Phychologyはより深い哲学、「どう人生を生きていくか」を実践させてくれるようなすそ野が広がる哲学であり、それはAshramで体験したあの不安感と開放感にもつながるものだと強く感じている。