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今、美しきもの

2015年7月8日 和尚と舞踏

河を渡るとき、自分の舟が空っぽの舟にぶつかったら、たとえ短気な人であろうと、大して怒りはしない。

が、もし舟の中に誰かいたら、しっかり舵を取れと、大声で怒鳴るだろう。も しその声が聞こえないようだったらまた怒鳴る。そしてまたののしりが始まる。

これすべてその舟に人が乗っていたからのこと。

もし舟がからっぽであったなら、その人は怒鳴りもしないし、腹を立てること もない。

もしあなたが自分の舟を空にできたら、世間の河を渡っていくとき、誰もあな たには向かいはしない。誰もあなたを傷つけようとしない。

まっすぐ立つ樹は一番はじめに切り倒される。澄んだ泉水は一番はじめに飲み干される。

もし自分の知恵を深め、無知を恥とし、自分の人格を養って、他に勝ろうと欲するなら、あなたのまわりは光で輝くだろう。あたかも日と月を呑みこんだか のうように。

そうなったらあなたは災いを避けられない。

賢者は言った。 自分に満足している者は無益なことをしてきた者。成就は失敗の始まりだ。名声は汚名の始まりだ。誰が成功と名声から自由になり、群集の真ん中に降り立って、消えることができようか?

その人はタオ(道)のごとく流れる。見られもせず。 その人は「生」そのもののごとく動き回る。名もなく家もなく。 単純でいてこそあれ、分別はなく、どこから見ても愚者そのもの。 その歩みは足跡を残さない。 力もない。何ひとつ成就することなく、どんな評判もない。 誰を裁くこともないゆえに、誰ひとり彼を裁きはしない。

そんな人こそ完璧な人。 その舟は空っぽだ。

虚空こそ航路、指標、すべてとなるものだ 明日の朝から、自分で見つかるものすべてを空っぽにしてごらん みじめな気持ち、怒り、自我(エゴ)、嫉妬、苦しみ、痛み、快楽、見つかる もの何でもだ。 すべて投げ捨てなさい。どんな区別もしないで。選択など一切しないで、ただ 自分を空にするがいい。

そしてあなたがトータルに(全面的に)空っぽになったとき、突如としてあな たは自分が「全体」であることを、「すべて」であることを見るだろう。

虚空を通じて「全体」が達成される。

あなたの舟が空っぽになったときには衝突しなくなる。 葛藤も、怒りも、暴力もいっさいなくなる。 何もなくなる。

このないことこそ天恵だ。 この無こそ祝福だ。 この無こそ、あなたが探しに捜し求めてきたのだ。

瞑想とはまさに空っぽになること、「なんでもない人」になることだ

荘子(Chuang Tzu) 虚空の舟

この言葉を読んだとき、自分の「舞踏」の原点となるエッセンスを綺麗に綺麗に言葉にされたものにやっと出会えたような気がした。とても不思議な言葉だなと。そして、この言葉は僕の書く詩にもどこかセンスが似てる。アドラーの心理学にも、普通であることの勇気、というのがあるし、クリシュナムルティも「思考は過去の思い出の産物」ということを説いている。なるほど、本当にこの域になると「なんでもない人」にあることの難しさは半端ではない。