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今、美しきもの

広島新時代!?

今日の朝、東京新宿から広島へ深夜バスで到着。やっぱり思ったとおり、深夜バスはきつかった。一番きつかったのは10時に完全消灯、読書灯も使えない。今、細江英公の「なんでもやってみよう」を読んでいて、これを終えたかった・・。 フェイスブックで縁があって知り合ったダンサーの久さんと広島本通で初対面、そして広島芸能状況についてのお話。その久さんを通して知り合った石原悠一さんも後ほど道端で立ち話で合流。彼自身、ライブペインターでありながらいろいろなアートイベントの企画も請け負っている様子。過去には数学・理科の教師でもあった石原さん、こういった理数系に強い人がアートの世界にいることは心強くある。僅かの時間だったけど興味深い話ができた。

久さんの話では、その昔、広島に大槻オサムさん主宰の単独旅行舎があったが今はその名前での活動は休養中?とのこと。演劇・ダンス・舞踊などいろいろなMediumを通して、社会問題に関したパフォーマンスもされていたそう。セトラ広島さんは環境・文化を通して街づくりを行っている広島のNPO法人。因みに、毎年11月に行われる「大イノコ祭」への今年、2015年の資金が厳しいとのこと。この資金が何処からどのようにして調達されていたのかわからないのだけど、いわゆる広島伝統文化が「資金不足」から起こる不上演に市や県がどのような考えがあるのか(何も無いと思うけど・・)。

広島は歴史な経緯から「原爆」、「平和」に多くの時間と資金、そして並々ならぬ努力が費やされてきた。この、被爆地広島というステータスが芸術に与える影響は少なくない。「平和」を前面に出したダンスに如何に危機感を盛り込んでいくか。かといって悲惨な部分だけを安易に抽象・具象してもそれは被害者とその遺族への責任問題となりかねない。しかも、現実的にそういったきわどいパフォーマンスを受け入れてくれる企画者はなかなかいないとのこと。先にも言及した細江英公が1960年、彼が当時27歳のときに「へそと原爆」という短編実験映画を発表した。世界中で高く評価されたこの作品、なぜ広島なのか、なぜ原爆なのか、広島の人間にはどのように受け止められたのかは未だはっきりしない。この作品の芸術性と抽象性は、作品を限りなく普遍的なものにしているという感はある。一方で、こぶしに込められた生の力強さと脆弱さは、何度も出てくる異様に無機質で単一的な’きのこ雲’とのコントラストを力強く脳裏へ訴えかける。へそ、原爆、りんご、首の無い鶏(これは土方巽のアイデアだろう)、太陽の子どもたち。同氏が同年の初めに性と生を意識した写真集「おとこと女」に続く「生と星」を感じることが出来る、そういう作品だ。

広島で全国的に名高い「フラワーフェスティバル」は1977年に「平和・花・命・音楽」をテーマに始まった。三日間を通して平均150万の人を魅了するフェスティバルはそれはそれで有意義なものであるが、それは何処の都市にもあるように、広島のいわゆる多様性のあるアンダーグラウンド的な芸術への貢献度は低いし、芸術性の追求というよりも商業性の追求ではある(それはそれでいいのだが・・)。

話で挙ったのが、広島では現在、アンダーグラウンド・前衛的な踊り、音楽、パフォーマンスを行うアーティストといわゆるConventional(伝統)舞踊などの二極化が顕著とのこと。アングロ系のアーティストコミュニティーでは、公演日が重なってしまうとお客さんの引っ張り合いになりかねない。もちろん、これは東京でも聞かない話ではないが、プロ意識(なにが「プロ」を規定するかはまた議論の余地があるが)が育ちにくい土壌であることは確かだ。オーストラリアでのアーティストは多くが独立してアートからの収入だけで生活している人が少なくない。ヨーロッパ、例えばドイツベルリンでは、その境界線がもっと複雑になる(つまりより日本的になる)、が基本的にはアートで「食って行ける」土壌と、最も重要な’地域理解’がある。日本から有名舞踏家が海外に移住するのは、「給与」、「認知」、「それを求めてくる同胞との交流」、そしてその地域土壌にある「芸術・文化への高い意識」があるからだろうか。

広島の芸術事情をしりたいと思ったのはやっぱりそこに「何か広島でしか出来ない芸術」があるような気がして仕方が無いからだ。原爆からすでに70年、中堅層もすでに40代前後。広島のような都市の今後の文化・芸術の発展はさらに二極化が進んでしまうのか。

ところで、僕もしらなかったんだけど、横川の「横川シネマ」は今熱いらしい。今週も「千年の一滴」というしょうゆの歴史についての映画をやっている。先週はアイヌの熊送りに関する映画をしていた。残念ながら一日限りの上映だったからいけなかったのだが。