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今、美しきもの

愛の魂と理性の横顔

友人と「愛」について話をした。 僕はこの手の話が大好きだ。ダライ・ラマが言っていた。「人は二つのモチベーションで行動する。一つは愛で、もう一つは憎しみ(ヘイト)だ」、と。戦争、プロテスト。僕は愛で行動できる人間になりたい。愛のエナジーは恒常的で、静的。一方、ヘイトは衝動的で、短絡的、そして一貫性が無いことが多い。ヘイトは不安、恐怖、抑圧などさまざまな顔を持ち、さまざまな形で、さまざまな人に語りかけてくる。

この話をしたのは、今回の友人ともこの二つの側面を説明しながら話したからだ。以下、そのメール文。

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僕はまだまだ若輩者ですが、「愛」の人格は千差万別あるのだと感じ始めています。遠く深く思う愛、母親のような何時もそこにありながら主張しない愛、兄弟愛、破壊的な愛、赦す愛、受け入れる愛、人類愛、友情愛。そして、その中で僕が思う最も大事な愛は自分への愛だと思っています。そこからすべての愛は他へ波及するのだと信じています。

(友人の名前を太郎さん、愛する人を花子さんとします)。

太郎さんの「強い愛」は花子さんに届きたい、理性から解き放たれたい、といっているように感じます。伝わりたいとせがむ魂と、それを抑える理性との戦い。

身体と社会的自分から吐き出されたいと願う愛の魂は、言葉の場合もあるし所作として、あるいは何らかの芸術表現として非直接的に出ることもあるかと思います、多くの偉大な作家、作曲家、画家、その他の表現者がそうであったように。

僕は、いつも理性と魂、そして体の間で、重要な問題が起こると「魂」を聞くようにしています。僕のパートナーとは国際遠距離をしています。彼との付き合いは約2年。そんななか、彼が「オープンリレーションシップ(付き合っているけど、他の人とセックスをすること)」をしようと言ってきました。いろいろと悩みました。理性は絶対にNOでした。でも、「彼への愛」の魂は、それは長い目で見れば些細なことといっています。それは、彼にたいする愛が確かなものだったからです。

魂の時間軸はもっとスケールが広いのだと感じました。このことを話すと彼は、今まで以上に愛情表現をし、そのオープンリレーションシップを再考すると。彼を愛する気持ちは不思議とより大きくなった気がしますし、また、僕の心も彼がしていることにかかわらずとても穏やかです。

太郎さんのメールを見て、「もうおそい」は理性が言わせているように聞こえます。「強く愛している」は魂の言葉。その魂の声を太郎さんがどう向き合って、出してあげるか。そして、「この(愛する)気持ちをどうにも出来ない」の部分。その思いをどうかする必要は全くないと僕は確信できます。

それは魂の声だからです。その「どうにも出来ない」ことをそれでいいのだと、受け止めてあげてください。魂のその声、大事にしてあげてください。

人を想う気持ちは本当に偉大なことなのです。そして、うねり渦巻く愛の魂を(時間がたったとしても)何らかの形で出してあげることは太郎さんの表現者としても一人の人間としても重要なタスクだと思うのです。

僕は宗教家でも、何でもありませんが、この「愛」に関してはとても大きなエネルギーを感じるし、そして、その重要性をもっと広く話して行きたいと思っています。自分を愛すること、とはよく聞くフレーズ。そして、「自分らしく」というもの巷では表面的なテキストとして使われています。

僕は自分を愛することの定義は、結局のところ自分をもっと知ることなのだと考えます。

特に、なにも信じる必要はない。神も、仏も信じたくなければ信じなくていいと思います。

しかし、愛は、普遍的です。そして、人生をかならず豊かにしてくれるものだと信じています。