ImPermanence Production
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今、美しきもの

2015.03.04

今日は朝、勅使河原三郎さんのWSへ行った。眠い目と節々に感じる筋肉痛と、そして情報満載で重たい頭を抱えながら。講師の加藤さんはいつも一定のテンションと落ち着き。このKarasのスタジオがまたすごい。すごいプロフェッショナルで常に加湿器をアロマのにおいが3階建てのスタジオを包み込んでいる。そして、このスタジオはKarasのメンバーの手で作ったらしい。すばらしい! Teshigawara Saburoのダンステクニックは、言葉で言うととてもシンプル(3回受けただけだけど)。それは、体のあらゆるテンションをいかにとるか。それをどのように感じながら、体重を感じながら呼吸とともに「ルースにして」いくか。それは、やってみるととてつもなく奥が深く難しい。なにが難しいって、それは体を支える最小限の力を保ちつつ、感じつつ、そして体中の「力み」を抜いていく。今日の練習法は床にれ転がって、背中を意識しながら体を感じていく、そして普段感じていない力みを取り除いていく。本当にむずかしい、というよりの感じられない。加藤さんは常に、自分の方法を見つけてください、と言う。自分で感じられる方法を探す。そして、加藤さんが前回言った言葉「緊張・テンションから開放されて始めて伸びることができる」。その感覚を味わいたい。これは、自分の中にだけがもっている体へのコードを探す作業。WSは一回が1時間30分、その間、休みは無い。絶えず、何らかのタスクをしながら自分の体と対話をしていく。僕は背中がとてもかたい。胴が曲がらない。骨は曲がるのに、その周りの筋肉がバリバリで動きがとても固い。僕の肩甲骨は異様に大きくて、まるで鳥の羽の様。だから、寝転がって手を上に伸ばすと腰が浮いてしまう。加藤さんは云う「みんなそれぞれ身体は違うから、タスクのやり方もそれに応じて自分で発見していくんです」と。その言葉にやっぱりこのWSも「うまい・下手・出来る・できない」の杓子定規のダンス教室ではないことにほっとする、と同時に、踊るということは、体を知るということはそういうことなのだ、と妙に納得もしそして困惑もする。自分の踊りの方向性はまだまだ見えないけれど、自分の体を知ることは方向性を探すよりも大事なこと。WSの終わりに、受講生の一人と話をしたとき、「僕は2ヶ月くらいたってから、そのメソッドが伝えようとする「感覚」を実感することができるようになった」と。このTSメソッドは呼吸法も特殊で、口からの呼吸を推奨する。口を閉めて息をするという、この社会的規範は口の周り、あご、顔の筋肉を完全な力み取り除くことを邪魔する。あぁ、僕たちは如何に一定の固定概念の中で生きていることかと再度、実感してしまう。ただ、睡眠専門家なんかは「口をあけて行動するのは哺乳類では人間だけだ。赤ちゃんも呼吸は鼻からする。人が口を開けるようになるのはご飯を食べながら、話すことからはじまる」と。これはこれで説得力がある、というか事実であると思う。僕は、2月末に行われた、体験週末WSにでて、その最後の2,3分に「あの感覚」を体験した、と後になって思うと感じている。あと3回のWSで僕の体は何を探してきてくれるのだろう。もちろんWSの後、駅へ行く道では僕の口はポカーンと開いている。

その後、東京都庭園美術館に行った。でも、庭園自体は整備中で閉園。特別展でやっている「幻想絶佳 アール・デコと古典主義」を見に行った。僕はあまり近代ヨーロッパ史を知らない。朝香宮廷のことも知らなかった。ただ、メルボルンで多くのアートデコ(英語ではArt Decorationというからアートデコという)を見てはいるが「幾何学的文様と派手な色使いでそれでいて繊細でおしゃれ」ぐらいの理解でしかなかった。まぁ、知らないことだらけであるのは今始まったことではないけど。建物・展示品すべて美しく、美の骨頂というにふさわしい展示だったが、特に目を引いたのが、ローマ賞をとったジャン・デビュジョルの「思索」。あの女性の目は何だ。こっちを見ているようで、宙を見ているようで、その見つめ方が切実で、どこか危機感がある。世界にはたくさんすばらしい美があるなぁ。